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北海道保険医会事務局

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お知らせ
お知らせ : 東日本大震災被災地レポート1

 

 東日本大震災で甚大な被害を受けた被災地の視察が10月9日(日)、全国の保険医会・協会が集った連合会(保団連)の主催で仙台市を中心に行われました。
 3.11から半年超を経て、現地の視察には全国の保険医協会・医会から医師、歯科医師、事務局員ら総勢99人が参加。宮城県仙台市、名取市、松島市と福島県南相馬市の各コースに分かれて視察を行いました。
 北海道保険医会からは、下出道弘副会長、田辺隆理事、三浦豊歯科部長、工藤事務局員の4名が参加しました。
  TV画面に映る衝撃映像に息を呑んだあの現場はどうなったのか、被災地は復旧、復興に向けてどう動き出しているのか・・・それらを確かめるための被災地視察となりました。


 
〜 東日本大震災 被災地視察レポート 〜


■ 10月8日(土) 仙台空港へ

 東日本大震災が発生した3月11日、宮城県仙台空港では、大地震により建物の天井部分が一部はがれ落ち、海岸から押し寄せた大津波で駐車場から滑走路に至るまで数百台の車や航空機までが流されました。空港施設や交通の機能が完全に失われるなか一時1800人が孤立しました。
 視察前日、千歳を発った旅客機は、青森から岩手、宮城の海岸線を眼下に南下を続け仙台空港へ。高度を下げながら着陸態勢に入った機内から、海岸線の松林が大津波のために広範囲にわたり海側から陸地に向けて倒れているのが見え、津波の勢いと威力の大きさを実感しました。
 仙台空港に到着すると、天井やカウンターなどの施設はすべて復旧されて、真っ先に向かった屋上デッキからの眺めでは、あの日滑走路を埋め尽くした車や瓦礫はすべて撤去されていました。それでも海岸の方向に目をやると、津波で壊れた家屋が点在しており、あらためて空港がこれほど海岸線に近い場所にあったことに気付かされました。

 空港とJR仙台駅を結ぶ仙台空港アクセス線は、10月1日から全線で運転を再開したばかりでした。
 仙台駅に向かう途中、名取から乗り合わせた二人の男性は地元の方らしく、被災した商店街の復興について会話をされていました。避難所から仮設住宅に移り定期的に会合が持たれているが、経営者の多くがそれなりの年齢になっていて、店の再建、復興のために新たに借り入れを起こすのはとても困難と諦める人が多い、具体的な地域の再建計画も前に進まない状況にあることを淡々と話されていました。


■ 10月9日(日) 被災地視察

 視察当日は快晴微風の好天に恵まれ、本会の4名は被害の大きかった仙台市若林区の荒浜地区から県道10号線沿いに名取市の閖上(ゆりあげ)地区までの区間を視察するバスに乗車。現地の案内役には宮城県保険医協会の野地俊一事務局長と笠井一臨事務局員が帯同しました。
 仙台市中心部を出発し、現地に向かう車内で野地事務局長から宮城保険医協会管内での被害状況について説明がありました。続いて笠井事務局員がマイクを握り、被災した地域の住民の方々の暮らし、3.11の大地震発生と大津波が押寄せた当時の状況、その後の復旧・復興に向けた現在の動きなど、向かう先々で詳細な説明を受けました。
 笠井氏はご自身が荒浜地区のご出身で、今回の大震災で幼なじみの同級生やそのご家族が亡くなられたこと、視察のガイド役には様々な思いや巡り会わせを感じたなど、悲惨な被害の状況を説明する言葉の端々には、地元出身者として現在もなお心痛癒えない空虚と無念の思いが溢れていました。


●仙台市若林区荒浜地区

 我々が最初に訪れたのは、仙台市民唯一の海水浴場として賑わう深沼海岸がある荒浜地区でした。笠井氏が「大震災の当夜、若林区荒浜地区で200から300の遺体を発見との報道に我が耳を疑い想像がつかなかった」と語る現場に到着すると、砂浜が続く海岸線にわずかに残った樹木は斜めに傾いたまま。人口1700人の住宅地として街並が続たであろう建物はコンクリートの基礎を残すのみで、家屋の屋根、壁、柱、家財すべてが流失、壊滅的な被害を受けていました。
 この地域にどれほどの人々が生活をしていたのか、その無機質な痕跡からは全く想像がつかず、静かに風が流れるなか「時が止まったまま」の現場に言葉を失いました。


〜壊滅的被害を受けた荒浜地区。彼方に仙台市街が見える〜

 

●名取市閖上(ゆりあげ)地区

 次に向かった名取市の閖上地区は、良質な赤貝の産地として有名な名取川河口の港町でした。甚大な被害は、被災による犠牲者700人、8月末の調査で7000人あった人口は3800人にまで減少しました。
 あの日、大地震が発生し大津波警報が発令されるなか、避難が遅れた住民の方々は、車での避難路が一本道であったため渋滞となり、猛烈な勢いで海岸を越え河口を遡りながら押し寄せる大津波に一瞬にして呑み込まれた。その渋滞の原因となった5叉路では、車を捨てて橋や歩道橋に駆け上がって助かった人もいたという説明を聞き、避難する車列にあって迫り来る恐怖は想像を絶するものであっただろうと、胸が締めつけられる思いがしました。


〜市場や組合など主要な建物の全てが失われた閖上漁港〜

〜港の傍には今もまだ瓦礫がうず高く積まれたままの状態〜


〜道路脇に残された瓦礫の中に歯ブラシと食器の欠片が〜


〜わずかに点在する家屋も屋根の高さまで津波に浸った痕が残る〜


〜被災したかまぼこの加工会社。震災直後に一時社員を解雇したが、
高台に工場を再建し従業員を呼び戻して事業を再開した〜


〜被害に遭った老健施設では、入所者を含め20数人が犠牲になった〜

 閖上漁港で視察団のバスが停車した近くに日和山という小高い丘がありました。参加者は石段を登り、高台の上から辺り一帯に広がる被害の状況を確認して、犠牲者を弔うお塔婆の前で亡くなられた方々の尊い御霊に手を合わせました。
 その後、バスは沿線を進み、撤去が進まず今も畑に残されたままの船を見届けながら仙台空港に到着、視察を終えました。

■ 被災地の視察を終えて

 限られた時間のなかでの視察でしたが、大地震と大津波による被害がどれほど大きなものだったのか、被災地を巡りながら詳細な説明を受けて、実際に現場に立ち、自分の目で確かめ肌で感じることができました。
 今回の大震災では、自然の圧倒的な力の前では人間は無力であり、運命の非情さ、命のはかなさと大切さを胸元に突つけられ、自分自身も今回の視察を通して折れた心の整理が出来たと思います。
 3.11から半年以上が過ぎ、瓦礫の撤去作業は進んでいたものの、現場ではあの日から時間が止まったままであること。数多くの尊い命が奪われた一方で、間一髪難を逃れた方々の避難生活は現在も続いており、将来の見通しが未だついていないこと。加えて福島第一原発事故の放射能汚染は環境や健康へはかり知れない影響があることなど、厳しい現実を目の当たりにしました。
 あらためて国や行政が全力をあげて地域の再建と復興に取り組むことはもちろん、私たち国民一人一人が被災地の方々の痛みを分かち合って長期の支援をしていくことの重要性を強く感じました。

(北海道保険医会 歯科部長 三浦 豊 記)


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